三重縣護國神社でつづく奉仕の精神

わたしはガールスカウト,思いと願い平和

三重県で活動するガールスカウトの宇田和未さん。

小さい頃から続けてきたガールスカウトが縁となり、三重縣護國神社(みえけんごこくじんじゃ)の巫女(みこ)としてお勤めされています。
平和を願い、地域と人に寄り添い、お仕事に励む様子をインタビューしました。


Q. 三重縣護國神社では、どのようなお仕事をされていますか?

三重縣護國神社の御祭神である、三重県にゆかりのある約6万300余柱の御英霊にお仕えしています。

当神社の神様は、禁門の変・戊辰戦争から大東亜戦争に至るまでの戦役において戦没された御英霊です。
「御英霊(ごえいれい)」とは「優れた(秀でた)魂」という意味で、神様は一人、二人ではなく「一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)」とお呼びします。

仕事内容は、祭典やご祈祷(ごきとう)の奉仕をはじめ、境内の清掃、御朱印の奉製、お札やお守りの授与、事務作業など多岐にわたります。
御英霊それぞれの命日が近づくと、そのご遺族の方々がお参りにみえるため、慰霊祭の奉仕も行います。
ご遺族の方々が御英霊と向き合われる、年に一度の大切な時間ですので、私も誠心誠意ご奉仕しています。

慰霊祭では、靖國神社・護國神社独自の巫女舞である「みたま慰めの舞」を奉納することもあります。
また、毎年8月13日から 15日には「万灯みたま祭」を斎行し、境内に約6,000灯の提灯や行灯を掲げて、御英霊のみたまをお慰めします。

8月15日は忘れてはならない終戦の日です。当日は終戦の日英霊感謝祭を執り行い、祭典に参列されるご遺族崇敬者の方々とともに、職員一同で黙祷を捧げます。
夕方からは屋台の出店もあり、多くの参拝者で賑わう、活気あふれる三日間となります。

昨年12月には、当社初の試みとして「巫女体験」を開催し、私が講師となって3名の方に巫女の業務を体験していただきました。体験者の方から「とても楽しかった」というお声をいただき、今後の大きな励みになりました。

Q. 巫女のお仕事に就こうと思った動機やきっかけを教えてください

私は小学校2年生(ブラウニー2年)のときから、母の勧めで、ガールスカウト三重県第7団に所属しています。
私たちは三重縣護國神社を母体として活動しており、普段の集会も神社のお部屋をお借りして行っています。

集会の際に巫女さんの姿を目にすることがあり、その清らかで神秘的な佇まいが、神社の厳かな雰囲気と相まってとても素敵だと感じていました。

また、私の住んでいる町内では3年に一度「獅子神楽祭」が行われ、地域の子どもたちや若い世代が舞子として参加します。私は巫女として2回お祭りに参加し、「豊栄の舞」と「浦安の舞」を奉納しました。

そうした経験を重ねる中で、いつか本職の巫女として神社に奉仕できたら良いなと考えるようになりました。

Q. 働き始めて感じるお仕事の魅力、新たに見えたことを教えてください

一番大きいのは、御英霊に対する尊敬の念が自然と深まることです。

護國神社は、戦没者を神様としてお祀りし、現代を生きる私たちの平和な暮らしと深く関わる神社です。
日々御英霊の側でお仕えするうちに、今の平和な暮らしは御英霊のおかげであると強く感じるようになりました。

戦争当時の過酷な状況の中で、国のために平和の礎となられた御英霊に安らかにお鎮まりいただけるよう、私は常に英霊感謝の心を大切にしながら奉仕しています。
また以前、ご祈祷に来られた方が後日、「神様に願いを叶えていただきました。ありがとうございます。」と声をかけてくださったことがありました。

参拝者の方から感謝の気持ちを直接伝えていただけることも、この仕事の大きなやりがいです。

Q. ガールスカウトでの経験が仕事に活かされていることはありますか?

ガールスカウトと巫女には、「奉仕の精神」という共通点があると感じています。

見返りを求めず、人の役に立つことの大切さをガールスカウトで学んだことで、今の神社での奉仕にもやりがいを持って取り組むことができています。

また、自ら考え、積極的に行動することの大切さを、リーダーの方々から教えていただきました。
その学びを活かし、「こうした方がより良いのではないか」と思ったことは、神社でも積極的に提案するようにしています。

神社では毎朝、国旗を掲揚しますが、集会やキャンプで旗揚げをおこなってきた経験が、畳み方を含めて日々の奉仕に役立っています。

Q. いま目標にしていることや目指している姿を教えてください

私の目標は、一人でも多くの方に護國神社の存在を知っていただくことです。
そして、御英霊に感謝の気持ちを伝えに、お参りに来ていただけたらと思っています。

昨年、令和7年には終戦から80年という大きな節目を迎えました。
現在の日本では、戦争体験者の高齢化が進み、戦争の記憶の風化が懸念されています。

これから未来を担う世代に、戦争のことをどのように伝えていくかが大きな課題となっています。

近年は、初詣やご祈祷に若い方が多く訪れるようになりましたが、それでも護國神社の存在を知らない方はまだ多く、また戦没者を神様としてお祀り(おまつり)していることを知らずに参拝される方が多いのも事実です。

当神社では、SNSでの情報発信や体験会・講演会の開催など、さまざまな取り組みをおこなっていますが、その中でも最も力があるのは「口コミ」だと感じています。
参拝された方が周りの人に伝えてくださることで、「護國神社に行ってみよう」「御英霊に感謝を伝えに行こう」と思う方が、一人、また一人と増えていく。
その積み重ねが、護國神社を未来へとつなぐ大きな架け橋になると信じています。

お参りに来られた際には、まず神様に、日々の平和な暮らしへの感謝を伝えていただけたら嬉しいです。
ガールスカウトの皆さんにも、ぜひ平和学習の一環として、靖國神社や各県の護國神社へお参りする計画を立てていただけたらと思います。

インターネットで多くの情報を得ることができる時代だからこそ、実際に足を運び、自分の目で見て、「平和とは何か」を考えてもらえると幸いです。


宇田和未さんのおすすめスポット

左右とも口が開いている、青銅製の狛犬(こまいぬ)です。
三重縣護國神社にお参りの際はぜひ、頭を優しく撫でてあげてください。

三重縣護國神社の狛犬の歴史

一般的な狛犬は、左右一方が口を開いた「阿(あ)」、一方が口を閉じた「吽(うん)」が一対として神社に置かれているのがほとんどですが、当社の青銅製の狛犬は、左右とも「阿」「阿」と口を開けています。

なぜ左右とも口を開けているのかを狛犬が当神社に奉納された時に書かれた「狛犬由来記」を手掛かりに想像してみますと、もともとこの狛犬は、「阿」「吽」二対が存在していたと考えられます。

二対の狛犬はどこかの神社に置かれていたのかもしれません。

やがて大東亜戦争が始まり戦局が厳しくなると、その二対の狛犬は物資となるべく戦争に召集されましたが、戦地で傷つき、その後、疎開先で「阿」と「阿」だけが終戦を迎えたようです。

昭和三十二年の当神社御造営に際し、その「阿」と「阿」の狛犬を一対として、桑名市の鍋吉鋳造所の鋳物師 伊藤軍市郎氏より当神社に奉納されました。

三重縣護國神社
三重県津市広明町387

 
※この記事は、インタビュー内容についてご本人よりいただいた表記にて掲載しています