ビスタ物語

色えんぴつ#ガールスカウト100th,ロールモデル,国際理解

日本のガールスカウト運動100周年アンバサダーの近藤春菜さんが、テレビ番組で披露して人気になったキャンプソング「ビスタ」。世界中のガールスカウトがキャンプなどで歌う定番の動作付きソングです。
その「ビスタ」はいつから日本のガールスカウトでも歌われるようになったのでしょうか?
そのきっかけとなった木村惠子さん(東京都第4団)に、いきさつを教えていただきました。

» アンバサダー ハリセンボン 近藤春菜 氏|100周年記念


ビスタ物語

木村 惠子(東京都第4団)

皆さんがリズムにのって膝をたたきながら楽しく歌っている“ビスタ”の歌、実はあの歌を日本のガールスカウトの皆さんに紹介したのは私です!
今日はなぜ、どのように私がこの歌を知ったのかをお話ししたいと思います。

1963年「ジュリエット・ロー セッション」

それは、今から60年近くも昔の1963年のことです。私は、メキシコにあるアワカバニャ(注1)で開催された「ジュリエット・ロー セッション」(注2)の日本代表の一人に選ばれたのでした。私が18歳の夏のことです。
(注1)ガールスカウト世界連盟のワールドセンターの一つ  (注2)現在のジュリエット・ロー セミナー

もちろん私にとって初めての海外渡航でした。誰もが自由に海外に渡航できる今からは考えられないことですが、この当時の日本では、海外に出られるのは海外からの招待のある人に限られていた時代でした。パスポートも一回限りのもので、私のパスポートにも、はっきり「アメリカのガールスカウト連盟からの招待による」と記されています。

私が参加した「ジュリエット・ロー セッション」ですが、カナダ、アメリカ、メキシコ、プエルトリコ、ブラジル、スイス、イタリア、フィンランド、オーストラリア、日本の10カ国から二人ずつの代表(アメリカは主催国なので7人)と、二人のアメリカ人のリーダー、計27人のガールスカウトとリーダーが、アワカバニャで3週間一緒に暮らしたのでした。

共通語は英語です。私の英語力は27人のうちの最下位だったと思います。でも、そんなことお構いなしで、世界から集まったティーンエイジャーたちはすぐに友達になり、朝から深夜まで笑い声が絶えない3週間を送ったのでした。何しろみんなガールスカウトなのですから共通点がたくさんあるのです。それぞれの言葉で、「やくそく」を唱え、スカウトソングを歌いました。

1963年「ジュリエット・ロー セッション」参加者(木村さんは後列左から2人目)

毎日午前中は真面目にそれぞれの国の歴史や文化を学び合う時間がありました。私と京都からのOさんの二人も事前に準備してきたものを拙い英語で一生懸命プレゼンしました。まだまだ日本は世界に知られていない時代で(その翌年1964年に東京オリンピックが開かれ、やっと知られるようになりました)、みんな興味を持って聞いてくれました。お土産の(スワッピング)の交換もしたのですが、アメリカ人からもらったものが Made in Japan だったので、大笑いしたものでした。

アワカバニャの庭でくつろぐ参加者たち

各国のダンスを披露

自国のダンスを準備するように事前に連絡が入っていました。私は日本舞踊など習ったこともありませんしOさんとて同じことでした。東京と京都で離れているし(当時はまだ新幹線もありません!)、それでは「さくらさくら」の1曲だけ習いましょうか。ということで、各自準備することにして、私も日本舞踊の先生を見つけて、付け焼き刃で1曲だけ教えていただきました。

ある日、アワカバニャで「オープンハウス」と言って、地元のガールスカウトや来賓を招いてそれぞれの国の紹介をするプログラムがありました。そこで日本のダンスをお願いしますということなったのです。さて、どうしましょう、と二人で相談した結果、ま、いいか、一緒に踊っちゃおう、ということになり、日本舞踊の先生が聞いたらひっくり返ってしまうことをやってのけたのでした。着物を着て、お扇子を持ち、「さくらさくら」の音楽に合わせて、それぞれ習ってきた全く違う流派の日本舞踊を一緒に踊ってしまったのです。会場からは割れんばかりの拍手をいただきました。

「さくらさくら」を踊る日本人参加者(右側が木村さん)

そのとき、プエリトリコから来たTさんが披露したのが「ビスタ」でした。アメリカやカナダのガールスカウトたちはこの歌を知っていたので、きっと北米ではすでに流行っていたのでしょう。原作者不明でプエルトリコの歌というわけではないそうです。言葉には何の意味もなく、ただリーダーの言うことをリズムに合わせて真似するだけなので、言葉を覚える必要もないし、それ以来、私たちは滞在中よく歌っていました。それがあまり楽しい歌だったので、帰国後、私の所属していた東京都第4団の仲間たちに披露し、それが全国へと広がっていったのだと思います。

自国のダンスを踊る参加者

その後の交流

3週間の楽しいプログラムの最後の日、リーダーのJさんが、この友情を繋ぎ続けるために、1年に一度 Newsletter を発行したら? と提案してくださったのです。私たちの中で一番リーダーシップのあったオーストラリアのKさんが編集の役を引き受けてくれました。Newsletterに名前をつけようと言うことで決まったのが、WATA JAROBU でした。私たちがいつも歌っていた“We’re All Together Again We’re here we’re here,”という歌の頭文字をとってWATA そして、私たちが滞在した3つの寄宿舎の名前、Jacarandas, Rosas, Buganvillas  の頭文字をつなげたものです

当時はコピー機もない時代でした。今となってはKさんがどうやってみんなのニュースを編集してそれぞれに送ってくれたのか・・・感謝のほかありません。今ではインターネットの時代になり、各自がメールでnewsを送るとメキシコのRさんが編集をして、あっという間にそのまま各自のパソコンに15ページもの newsletter が届くのです。この59年間、途絶えたことがありません。

『WATA JAROBU』ニュースレター

それに加えて、子育てが終わった1988年から対面でのリユニオンも計画されました。5年ごとに世界のどこかで会いましょう、というのです。一番初めはミシガンのリーダーのJさんのお家で。それ以降は仲間の誰かが主催者になって自分の国に招待することにしたのです。このリユニオンには夫や子どもたちなど家族も加わるので、大きなWATA  JAROBUファミリーに成長しています。今までメキシコ、スイス、カリフォルニア、日本、オーストラリア、イタリア、ワシントンD.C.、カナダでおこなわれています。私が計画した日本でのリユニオンにはたくさんの家族が参加したので、なんと36人もの参加者がありました。

リユニオンで日本に集まった参加者たち

そして来年2023年は私たちが初めてアワカバニャで会ってから60年になります。コロナが終息していることを願い、来年秋にはプエルトリコで60周年を祝いましょうと計画が始まっています。そのときにはきっとみんなティーンエイジャーに戻って、元気に「ビスタ」を歌うことでしょう。

» 実際のビスタを見てみよう(ガールスカウト公式YouTube)


ビスタの物語、いかがでしたか?
今のように女性だけで海外旅行することが難しかった時代だからこそ、参加者同士の絆はとても深まったのでしょう。60年近くもの間、友情が続いていることに驚くとともに、憧れの念が絶えません。
このように「やくそくとおきて」でつながった世界中のガールスカウト同士がずっと交流を続けることができるのは、ガールスカウトならではの良さですね。

現在、世界連盟主催のセミナーは「ジュリエット・ロー セミナー」「ヘレン・ストロー セミナー」の二つがあります。会員の方は機会があればぜひチャレンジしてみてください。

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