心のバリアフリーとともに「夢に向かって一歩ずつ」挑戦し続ける

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これまでパラリンピック5大会に出場し、15個もの金メダルを取った成田真由美さんは、レジェンドアスリートのお一人です。13歳で病気のため下半身不随となりましたが、大人になって水泳と出会い、偉業を達成されました。
ガールスカウト経験者である成田さんに、日本のガールスカウト運動100周年を機にお話をうかがいました。

成田真由美さんプロフィール写真

<プロフィール>
成田真由美(アスリート)
神奈川県出身。13歳で下半身不随となる。1996年アトランタから2008年北京までパラリンピック4大会連続出場。金15個・銀3個・銅2個のメダルを獲得。2016年リオ大会では個人3種目で日本新記録(一つはアジア新記録)。次の東京大会出場を目指す。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事。

ガールスカウトにはどんな思い出がありますか?

日曜日と言えば姉と一緒に集会に行くのが当たり前でした。キャンプに行って火おこしをしたり、老人ホーム慰問や、ろう学校の見学に行ったりと社会貢献活動もしていました。フライアップ式のときに私だけ手旗ができなくて、くやしくて泣いたこともありました。病気になっていなかったら、絶対リーダーをしたと思います。ガールスカウトでいろいろな活動をしたことで、人との関わり方を学べたと思います。

ガールスカウトの経験が役に立ったことはありましたか

病気になって入院生活が長かったのですが、「キャンプのときも雨が降ってきて、みんなでテントを張れたな」「みんなでがんばって火おこしができたな」といったことが思い出されて、頑張ることができたように思います。障がいが残ってしまったのは事実ですが、それでもやはり一人じゃないと思えたのは、ガールスカウトでいろいろな人たちと接することができたからではないかと思います。

成田さんのガールスカウトグッズ
大切に保管されていたガールスカウト時代のグッズを見せてくださいました。

成田さんが水泳選手として、挑戦し続けてきた原動力はなんでしょうか?

北京パラリンピックが終わった後に入退院を繰り返し、2020年東京開催が決まって、再び泳ぎ始めてリオに行くことができました。残念ながら東京パラリンピックは延期になりましたが、それでも挑戦できる環境があるということは、とても幸せなことだと思います。
単純に水泳が好きですし、自分であきらめさえしなければ、前向きな気持ちでいられると思います。もう私はここでだめだって思うのも自分だし、やるぞって思うのも自分だとしたら、やはり私は目の前にあるものに挑戦していきたいなと思います。やらないで後悔するよりやって後悔したいという考えです。
プールがあって、コーチ、家族、マネージャー、トレーナーがいてくれて、いろいろな人たちが支えてくれています。私は泳ぐことしかできないですが、今、泳げるということに感謝して、続けていきたいと思っています。

パラリンピックの認知度は向上してきていますが、障がい者の視点から社会に足りないと思うところはありますか?

バリアフリーのことも含めて、もっと変えていかなくてはいけないし、変えられるチャンスだと思っています。車いす用駐車場や多目的トイレを不正利用する人がいたり、電車も到着するまで、車いす用スペースの位置がわからなかったりなど、まだ障がい者がスムーズに生活できる環境が整っていないところがありますので、多くの人に、それこそガールスカウトの皆さんにも知ってもらいたいと思っています。障がい者たちがもっと身近になって、日常的なところから触れ合えるとよいと思います。私は女性であり、障がい者でもあるけれど、選手でもあります。いろいろな人がいて、みんなが一人ではなく、たくさんの人たちがいてくれるということに感謝の気持ちを忘れてはいけないし、その人たちに支えてもらっているという気持ちを大事にしていかなくてはいけないと思います。

対等な人間同士として互いを尊重しあうことが大事なのですね

私の通うスイミングクラブは幼稚園の付属プールで、ダウン症の人や自閉症の人などいろいろな人を受け入れています。私の練習が終わると幼稚園の子どもたちが来て、最初は「なにに乗っているの? いつになったら歩くの?」と子どもらしい質問をいっぱいしてくれました。スイミングクラブは2階建ですがエレベーターがないので、あるとき「2階までどうやっていくの」と質問されました。「どうやっていくと思う?」と聞いたら、子どもたちなりに一生懸命考えて、ある男の子は「僕が大きくなったら、おんぶして2階まで連れて行ってあげる」と言ってくれました。やがて私が練習で使う道具の準備を手伝ってくれるようになったり、プールを出るときに扉を開けてくれるようになったりして、自然に受け入れてくれるようになりました。障がい者という言葉は使わなくても「車いすの人で、手だけで泳げて、パラリンピックに行っている」ことを覚えてくれていて、ほかの車いすの人を見たときに「ママ、あの人も車いすに乗っているね、成田さんとおんなじだね。」って言うそうです。これがバリアフリーということなのだと思います。
スイミングクラブに通って25年になりますが、一向に出入口などがスロープにならないのが、私にとっての心のバリアフリーです。10cmくらいの段差は自分で乗り越えられます。でも高い棚にあるものは取れないので、頼んで取ってもらいます。自分にできることは自分でする。できないこともあるから、それは互いに助け合う。それが一番大事なことなのかな、と思います。

ガールスカウトに期待することは?

ブラウニー、ジュニア、シニアのころは、選択肢がいっぱいあると思います。将来の夢を一つに決めきれない子がいて当然だと思いますが、いろいろなところに行って、いろんな選択肢を発見して、本当に自分が何をやりたいのか、時間をかけて探してよいと思います。ガールスカウトの活動では、普通の習い事よりもできることがたくさんありますね。私もそうでした。ですから、そうやっていろいろなことを学んで、見て、聞いて、成長してもらいたいと思います。「そなえよつねに」ですね。

心の支えにしている言葉を教えてください

いつも色紙に書くのは「夢に向かって一歩ずつ」という言葉です。新型コロナウイルスの影響で練習がお休みになりましたが、6月1日から練習を再開し、まずは「今月いっぱいはけがをしないで持久力を付けたい」というように、いま目の前にあること、一日一日できることを、ベストを尽くしていきたいです。病気になったときは苦しかったし痛かったけれど、過去をふりかえるよりは今日、今日よりも明日を見て一日一日を大切に生きたい。私が今、ここに生きていることはすごく幸せなことなので、今あるこの命を大切にしていきたいと思います。

成田さんの写真

 


インタビューを終えて

インタビューが始まる前、成田さんはご自宅に保管してあった思い出のピンや技能帯、教材などを見せてくださり、一緒に「やくそく」を唱え、「閉会の歌」も歌いました。互いを尊重しあい、互いにできることをすることが本当のバリアフリーにつながること。一つ一つ目の前のことに挑戦し続けることを積み重ねて、素晴らしい成果を出すことができること。
どちらも、私たちすべての人に必要で大切なことだと思います。
明るく笑う成田さんから、たくさんの勇気をいただきました。

手旗を持つ成田さん
覚えていた手旗信号を披露してくださる成田さん

成田真由美さんからは、100周年ガールスカウト応援団としてもメッセージをいただいています。
あわせてご覧ください。
ガールスカウト応援団